産業創造の志士が歩んできた道のり、シオン井上勉氏の半生から紐解く、チャレンジ精神と仲間の大切さ #PR

「欲しい未来は自分で作る」をモットーに、日本の未来のための成長インフラとなることを目指す株式会社シオン。同社代表取締役の井上勉氏は、どのような思いを胸に事業に取り組んでこられたのでしょうか。学生時代から社会人時代、そして独立してシオンを立ち上げるまでの道のりを辿ってみると、チャレンジ精神と信頼できる仲間を大切にする姿勢が浮かび上がってきます。

■自由な発想と行動力が育んだ学生時代

埼玉県行田市で生まれ育った井上氏は、高校時代まで野球に打ち込みます。大学への野球推薦も得られましたが、「プロになれる訳でも無いし、なったところで稼げるほどの能力がある訳でも無い」と冷静に自己分析し、別の目標を模索します。するとふと、「子供の感覚で世界を見たい」という思いが湧いてきたのだそう。

両親を説得し、19歳で北米を1年かけて巡る旅に出ます。様々な刺激を受ける中で「将来は起業しよう」と決意。帰国後は大学受験に打ち込み、明治大学に進学します。

大学時代は、実家の中古車販売店を手伝いながら、塾講師のアルバイトにも熱中。「授業をしない先生」として知られた井上氏は、生徒が主体的に勉強したくなるよう導くことに注力しました。「勉強は義務じゃなくて権利だ」と伝え、生徒の心に火を付けることを何より大切にしたのです。

■真摯な就職活動と運命の出会い

就職氷河期の中、井上氏は真剣に就活に取り組みます。複数の内定を得ましたが、総合商社への興味も芽生え始めます。内定先の金融機関から「保険として内定を承諾しておけば?」とアドバイスされますが、「嘘をついてまで手に入れるものが本当に欲しいものなのか」と自問自答。最終的に、正直に道を歩むことを選びます。

すると、ベンチャーキャピタルの第一人者・今原禎治氏と出会います。「銀行は過去に投資するが、我々は未来に投資するんだ」という言葉に感銘を受け、日本アジア投資に入社。ベンチャー企業を間近で支援する中で、「自分も事業主体となりビジネスをしたい」との想いが募っていきます。

■信頼と愛情で結ばれた仲間との再会

その後、伊藤忠商事出身者が立ち上げた不動産コンサルティング会社に井上氏は転職。倒産寸前だった祖母の経験から「安全な住まいの大切さ」を痛感していたこともあり、シニアレジデンス事業を任されます。

リーマンショックの影響で会社存続が危ぶまれた時も、必死に道を探りました。結果的に廃業となりましたが、社長の「自分の意志で決めて本気で取り組んだこと自体に価値がある」という言葉は、井上氏の心に深く刻まれます。

■「SION」立ち上げ、理念の体現へ

かつての仲間のDNAを引き継ぎ、夢を実現する会社を作ろうと決意。2009年、株式会社シオンを設立します。当初はコンサルティング事業からスタートし、外国人材関連事業やヘルスケア事業へと領域を広げていきました。

シオンの経営理念の根底にあるのは、誇りを持てる仲間と共に挑戦を続けること。「Style(独自のやり方)」「Infinity(無限の可能性)」「Only(唯一無二の存在)」「Nifty(人を惹きつける魅力)」の頭文字を取った「SION」という社名には、井上氏の想いが凝縮されています。

■夢を乗せた「愛」の船を漕ぎ出す

「強さと愛のある社長」でありたいと語る井上氏。「社員は家族のようなもの。時には厳しく接するが、決して見捨てない」という信念は、かつての上司から学んだものです。

シオンをIPOに導き、さらにはグローバル展開を果たすのが当面の目標。「船に夢を乗せ、社員と共に前へ進んでいきたい」と井上氏は力を込めます。

挑戦への熱い思いを胸に、仲間と手を携えて新たな産業創造に邁進する。株式会社シオンと井上勉氏の航海は、まだ始まったばかりなのです。

(執筆:「CHALLENGER/産業創造の挑戦者たち」編集部 2024年4月6日)

※ 「CHALLENGER/産業創造の挑戦者たち」は株式会社シオンの子会社の株式会社メディアインキュベートによって運営されています。#PR

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